【車屋四六】戦争中のパッカード

コラム・特集 車屋四六

古今東西、自動車の本は沢山あるが、第二次世界大戦中の5年間はほとんど空白。日、独、仏、伊、英、米、自動車生産国総てが参戦、参戦すれば総力上げて兵器生産に明け暮れたからである。

自動車屋は、戦車や装甲車、ジープ、軍用トラック等々造るのは朝飯前。また飛行機用、船舶用エンジンの大量生産だってお手の物。世界一の自動車生産国アメリカも、ドイツ開戦、日本の真珠湾攻撃で、42年前半には乗用車生産を中止、兵器生産を開始した。

だが、乗用車造りは止めても会社は健在、ということのCMを盛んに流した。ユーザーの不安解消向けで「現在戦争に協力中・貴方の乗用車造りは勝利の日まで待ってくれ」という具合に。品質要求が高いロールスロイス製マーリンエンジンのライセンス生産で、軍が白羽の矢を立てたのは、最高品質を誇るパッカード社だった。(パッカードは惜しくも1958年に姿を消したが)

もっともパッカードは飛行機用ばかりではなく、船舶用も得意とした。ケネディー元大統領が、大戦中搭乗した魚雷艇もパッカードマリーンだったと聞く。日本では、海上自衛隊の疑惑事件で有名になった舶用エンジンだ。

パッカードマーリンは、バトルofブリテンで大活躍のスピットファイア戦闘機で知られるが、アメリカではノースアメリカンP51ムスタング戦闘機で有名になった。近頃ではマスタングだが当時はムスタング。大戦末期に登場して長距離爆撃の援護で、ドイツも日本も手痛い目に合わされた憎っくき戦闘機。が、大戦中の傑作戦闘機と云われ朝鮮戦争まで活躍した。

(ノースアメリカンP51ムスタング D:P51末期のD型では1670馬力を誇る

P51はアメリカ製だが、基本設計がイギリスだったせいか、故郷イギリスのマーリンエンジンとの相性は良かったようだ。P51 D型のスペックは、全長8.5m、全幅11.3m。全備重量4580kg。航続距離3700㎞。12.7㎜機銃x6、ロケット弾x6、爆弾454kg。ロールスロイスマーリンV1650-7型液冷倒立V12気筒1695馬力。最大速度703km/h。上昇限度12.770mとなる。

ムスタングの防滴型キャノピーは、開戦時無敵を誇るゼロ戦や隼を手本に開発されたもの。戦闘直前に切り離す世界初の燃料落下タンクもゼロ戦用に開発されたもの。当時では非常識な長距離飛行も日本機なら常識。大戦前、欧米戦闘機の常識は200海里(360㎞)先で30分の戦闘→帰還。無敵のメッサーシュミット戦闘機もロンドン往復が無理で、ドイツ爆撃機は壊滅したのである。

一方、四方海に囲まれた日本育ちのゼロ戦は、開戦時に台湾から1000km余のマニラまで爆撃機を護衛し、往復2000km以上を飛び帰還。で、米軍は台湾からという非常識は念頭になく、マニラ近海の日本海軍空母探しに血眼になったそうだ。

しかし、戦争中期に入手したゼロ戦を徹底解析して完成したのがムスタング。結果、B29爆撃機の護衛で硫黄島から飛んできて、日本はひどい目に合わされることになるのだ。

「素晴らしい戦闘機は我が社のエンジンだが我が社は自動車屋」というようなP51とパッカードを並べたポスターをみたことがある。また「勝利までもう少しの我慢すぐに貴方の新しい乗用車を造ります」というのもあった。各社、それぞれがこのような広告を出して頑張っていた。