【車屋四六】ロータス・セブンと呼ぶスポーツカー

コラム・特集 車屋四六

近頃の機械は複雑でややこしい。電子制御など付いてればなおさらで、素人には手に負えないものになってしまったが、私が若い頃の機械は単純明快で親しみが持てた。

自動車だって、少々のことなら分解修理調整組み立てなど楽しみながらやったものである。が、近頃の車は一筋縄ではいかないものばかりだがロータス・セブンは例外、昔風に親しみが持てる。

そもそもの出発点がユニークで、〝素人でも扱える〟を目的として開発されたからだろう。開発者はチャップマン、正しくは、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン、1928年生まれの英国人だ。彼の車道楽は、1945年に両親がくれた誕生祝いの1937年型モーリスエイトで始まった。が、道楽は短期間で、バックヤードビルダーに転じたのが学生時代。改造によるスポーツカー造りだった。

写真では判りにくいが、ボンネットを開けると広いスペースにエンジンが鎮座。作業が楽で多種多様なエンジンに対応する

彼は機械いじりが好きというだけではなく、先見の明と商才を兼ね備え、会社は軌道に乗り、やがてレース界では知られた存在となっていく。

世界初の人工衛星、ソ連のスプートニクが打ち上げに成功した1957年に登場したのが、チャップマン夢の実現、ロータスセブンだった。プリンススカイラインが登場し、日本初フィルター付き煙草“ホープ”が登場した年である。

彼がこんな商売を始めた切っ掛けは、自身でレースやヒルクライムを楽しむために改造スポーツカーを自作。それが好成績を挙げると、是非譲って欲しいという人が出てくる。

それで改造商売を始めたのだが、改造だろうがスポーツカーを楽しむためには金が居る。が、金が無くとも車スポーツを楽しみたい奴も、世の中にはたくさん居る。

そこで、そんな若者達に買えるスポーツカー造りを考え、実現したのがロータスセブンだったのだ。

ここで彼の商才が発揮される。コロンブスの卵的発想は、キット販売。部品を箱詰めにして売るなら、完成車に掛かる税金が不要ということなのである。また組み立て工賃も不要。

自宅で箱を開けて自作すれば、一流スポーツカーのオーナーになれるのだ。簡単な工具で組み立てられるということは、修理改造も自分で簡単ということになる。が、性能は一流だから、税付き完成車も用意する。当初廉価販売目的のミニが裕福層でも人気を得たように、ユニークな姿と性能に惚れ込む裕福連中には完成車をというのである。

しかし、目的は裕福でない若者達のためだから、エンジンと変速機は、当時英国で安価に入手しやすい人気大衆車の量産品。具体的には、英国フォードのポピュラー用1172cc、変速機はオースチンA30用というコンビである。だが、組み込めるサイズなら市販の多くのエンジンを搭載可能と、エンジンルームには対応性が保たされていたから、後に多くの機種が生まれ、また客の注文に応じることも出来た。

生産中止のあとも高い人気のため、多くの会社でライセンス生産されたドンカーブート

ブルーバード310誕生時、日産は「日本のマイカー元年」と自称したのは1959年。同年登場の写真のスーパーセブンは、レーシングカーでも定評のある、コベントリークライマックスを搭載している。

人気者のセブンは、1960年にシャシーや各部を強化したシリーズⅡに発展。1965年にはシリーズⅢ、1969年にFRPボディーのシリーズⅣと、時代と共に進化の道をたどった。しかし、一世を風靡したセブンにも終わりが来る。折からの石油ショック最中の1973年に生産を中止。石油ショックは日本に波及して国中がてんやわんや。スーパーでは便所のロール紙の奪い合い、日祝日給油所休業、期末試験の用紙もないという、風評被害で日本中が大騒ぎだった。

いずれにしても、セブンの人気は高く、本家が生産中止の後も、製造権を買ったレプリカ登場でマニアは安堵する。ひと頃は十指にあまるレプリカが、世界中のサーキットや公道を走り回り、永遠の命を得たスポーツカーとなったのである。