【車屋四六】シーラカンスになった日本のジープ

コラム・特集 車屋四六

その昔、日本ではスクーターが来れば、シルバーピジョンでもラビットと呼んだ。小型飛行機は、例えビーチクラフトやパイパーでもセスナと呼ぶのは終戦後から現在までそのままだ。
どの市場に代名詞的存在があり、例えば昭和40年頃まで四輪駆動車は、全てジープと呼んでいた。

ジープはもちろん登録商標で元祖登場は42年(昭17)。頃は太平洋戦争緒戦。香港占領、マニラ占領、シンガポール占領と、日本軍の元気が良かった頃である。

トヨタ博物館所蔵オリジナル軍用ジープ/1942年型フォード製。横腹にシャベルと斧を装着・すぐに取り出せる小銃用ケース付きも見た

そもそもジープ開発の発端は、39年開戦のドイツ軍の、機敏に走り回る小型四輪車に米軍が注目したことが切っ掛け。米陸軍の慌てた開発計画に応じた中で、採用されたのがバンタム社の車。

試作車は性能試験をパスしたが、小さなバンタム社では膨大な軍需に対応不能との判断で、発注先はウイリス社、そしてフォード社に決まった。

試作発注から僅か六ヶ月で完成というのもアメリカならではだが、その後終戦までの実質三年強で50万台ほども作ってしまうのは、自動車王国アメリカならではの工業力である。
ちなみに戦時中のオリジナルジープがトヨタ博物館にあるが、こいつはフォード製である。

が、ジープが代名詞であるように、ジープの開発生産をウイリスと思っている人が多いが、経緯は前記の通りだ。
そのウイリス社も53年にはカイザーフレイザー社に吸収され、次ぎにアメリカンモータース=AMCになり、さらにクライスラーに吸収されたから、現在はクライスラーのジープである。

さて、ジープ愛好家は、時代と共に進化した姿より、元の姿が良いという。が、三菱ジープはオリジナルに近い姿を、53年にノックダウンを始めてから、実に98年まで続けたのである。

そもそもの始まりは、終戦で軍需が減ったウイリス社が民需掘り起こしの一環で、49年倉敷フレイザーモータス経由で日本に上陸。
が、朝鮮戦争勃発で米政府は至近距離日本でのノックダウンを決定、三菱中日本重工に白羽の矢を立てたのが50年のこと。

53年、世界唯一のライセンス契約でノックダウン開始。50年エンジン国産化。以後順調発展するが、82年パジェロ登場で大幅車種整理するも生産続行。そして98年に全面生産中止に至のである。
さて、53年の契約成立は警察予備隊(現自衛隊)の要望もあったと聞く。同じ年、日本テレビがTV向け女子アナ初募集。
結果「容姿端麗と愛嬌が条件の受像器に耐える顔は数名」というコメントは、今なら間違いなく一騒動起きるだろう。

既に本国ではOHVのCJ-3Bだったが、三菱供与は一代前の3Aだからエンジンはサイドバルブ(ロールスやローバーと同型式の吸気側OHV、排気側SVでFヘッドと呼ぶ珍しい形式)だった。
もちろん予備隊納入のため右ハンドルに変更、全長3388x全幅1688㎜、WB2030㎜。珍型エンジンは直四2199cc72馬力。

三菱ジープの完全国産化は、三菱重工にF86Fジェット戦闘機を航空自衛隊が発注した55年。その後国産化されたジープをベースに、後席ゆとりのロングシャシーやステーションワゴンなどがカタログに登場、エンジンも76馬力と強力になり、56馬力のディーゼル仕様も登場する。

とにかく特殊な車だけにライバルが少ないので姿そのままに生き続けて、自動車業界でシーラカンス的存在となる。ノックダウンから98年まで、実に48年間という長寿命だった。

近頃では四輪駆動が乗用車にまで普及して、誰もが無意識のうちに運転出来るようになったが、本来兵器のジープは機能本位のパートタイム型だった。

で、普段の走行は前進三速のFRで、いざ鎌倉となれば副変速機で四輪駆動に切り替え、さらに悪条件に対応する高低二段切り替えギアなど、かなり面倒な操作が必要で、上手に走らせるには熟練した運転技術を要した車だった。
また踏破力が凄い反面、操安性という面では落第クルマだった。

ジープから派生のステーションワゴン:河口湖畔で撮影・足和田キャンプ場と書かれている。頑丈で実用性高く人気があった