【車屋四六】最後のパッカード

コラム・特集 車屋四六

日本は45年の敗戦以来貧乏のドン底にあえいでいたが、50年に始まる朝鮮動乱の特需景気を切っ掛けに息を吹き返した。
初代クラウンがハイタク用マスターと共に55年に登場。日産はダットサン110とオースチンA50を。戦前からの老舗オータからPK型、片山豊企画のフライングフェザー、本格的量産軽自動車のスズライトSSも同年登場。

同じ頃、アメリカでは老舗高級車メーカーが斜陽の道をたどっていた。明治32年/1899年創業の名門パッカードもその仲間で、パッカードらしい姿をした最後が、写真(上)の55年型クリッパー・カスタム・コンステレーション・ツードアハードトップ。

パッカードの名が市場から消えるのは58年。最後の作57年と56年型は54年合併のスチュードベイカーのシャシー流用だから、威風堂々のパッカードの面影は失せてしまっている。

が、スチュードベイカーも老舗で、29年には名門ピアースアローを吸収しているから高級車の血は流れているが、レイモンド・ローイーの新スタイリングで景気が良かったのは50年前後で、55年頃には斜陽の道をたどっていた。

クリッパーのネーミングに合わせ、帆船時代からの操舵輪がエンブレムの写真のクリッパーは、伝統の貫禄ある姿をそなえた、最後のパッカーになってしまった。

当時流行のハードトップ姿のこのシリーズは、年間6672台を生産というから、高級車としては、まあまあの人気だったと思う。

ルーズベルト大統領の公用車パッカードV12気筒フェートン

全長5370㎜、ホイールベース3050㎜。車重1762kgの容姿は、痩せても枯れても米国高級車の姿だった…V型8気筒5632cc・OHV・245馬力/4600回転。

コラムシフトの三速型ATはパッカード・ウルトラマチック。こいつは、当時の米国製ATの中で、一番歯切れ良くスポーティーなので、私のお気にいりだった。

クリッパーは55年に登場、56年にフェイスリフトするも、57年には前述したように、昔のパッカードらしい姿を失うので、これが最後のパッカードらしいパッカードということになる。

WWⅡ以前のパッカードは、世界有数の資産家だった天皇家も愛用、というように世界の王侯貴族富豪御用達高級車だった。
パッカードは高級ばかりでなく、高品質もトレードマークで、その工作技術は、いくつものエピソードを生み出している。

たとえば、WWⅡ中、有名なロールスロイスの航空機エンジン、ロールスロイス・マーリンを必要とした米軍はライセンス契約をするが、高い工作精度の要求で、パッカードに白刃の矢を立てた。

パッカードV1650マーリン:1650馬力だから朝鮮戦争時の写真?ロールスロイス設計らしく加給はターボでなくスーパーチャージャー

完成したパッカード・マーリンは、ノースアメリカンP51ムスタング戦闘機に搭載されてドイツ相手に大活躍、日本にはB29の護衛戦闘機として飛来し、憎っくき敵戦闘機となったのである。
ちなみに、各国を代表する第二次世界大戦中の戦闘機といえば、ゼロ戦/日、スピットファイア/英、メッサーシュミット/独、そしてP51というのが定説である。

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