【車屋四六】マセラティ・メラク

コラム・特集 車屋四六

写真は75年(昭50)の東京モーターショー。本国で登場直後のマセラティメラクSS…967万円の値札が付いている。
実は、このショーは二年ぶり開催。石油ショックのあおりで、前年のショーが中止になり、75年以降、各年開催になったからだ。

当時の日本では、マニアを除き、マセラティの知名度は無いに等しかった。が、21世紀に入り売れ始めたのは、輸入車と云えばドイツ車で、あまりに増えすぎた反動だったのだろうか。

世界自動車史で、マセラティは老舗ではない。マセラティ兄弟による創業は26年。ちなみに26年、日本には年号が二つあった。天皇崩御により、大正から昭和になったからである。

マセラティは、最高のレーシングカー造りを目標に創業した会社だった。{論より証拠}創業年登場のティーポ26型は、長男アルフィエリの操縦でタルガフロリオに出場、1.5ℓクラスで優勝というのだから、たいしたもの。

30年代に活躍したマセラティ8C

その後も大レースで数々の話題を残し、WWⅡ後もF1やルマン24時間で活躍、ようやくGTの市販を始めたのが50年。
それまでのマセラティは、自社またはレーシングチームからの注文で造る、レーシングカーの専門メーカーだったのである。

さて、市販を始めた高性能GTは評判も良く、セダンのクワトロポルテは世界最高性能を誇り、セレブ御用達となる。
また70年に、マセラティのエンジンで生まれたのがシトロエンSM(シトロエン・マセラティ)。こいつは同社V8の六気筒分を使ったV6(2965cc180馬力)で、依頼を受けてから、わずか3週間で開発完了ビックリというエピソードを残している。

71年のジュネーブショーで注目を浴びたのが、マセラティ・ボーラ、そしてランボルギーニ・カウンタック。そして72年に、ボーラの弟分として登場したのがメラクだった。

メラクは、ボーラのボディを流用、エンジンはシトロエンSM用のチューンアップ版だった。キャブレターをウエーバー42DCNF三連装で190馬力、最高速度245㎞を確保していた。

もっともエンジンだけではなく、5MTギアボックスやLSD付きデフ、踏み代がない独特ブレーキ、楕円形メーターなども、SMからの物というのが、大きな特徴だった。

ということで、操作操縦性がまるでSM流だから、ボーラを買ったオーナーは戸惑い、馴れればいいが、馴れなければ手放すという結末が待っていた。
マセラティは仕方なく、拒否反応解決のために、76年になると、装置を常識的に改めて、販売を継続したものだった。

写真のメラクは、ボンネットにエアスクープがあるので、アメリカ市場向けのメラクSS。キャブレターを42から44に換装して220馬力、結果、最高速度が253㎞に上昇した強力バージョンである。

昭和:63年製マセラティTIPO65レーシングカー