【車屋四六】ドイツで生まれた軽自動車ハノマーグ

コラム・特集 車屋四六

欧州中が戦場になった第二次世界大戦は、戦勝国も被害甚大、それでバブルカー(軽)が雨後の筍のように戦後登場した。で、写真のハノマーグも、その中の一台だと、私は長年思い込んでいた。そんなハノマーグに、ドイツの博物館で出会ったら、戦前も戦前、1924年製だと判った。そして、メイカーのハノマーグ社が、ハノーバーが本拠の長い歴史の持ち主だと判ったのである。

蒸気貨物自動車製造ハノマーグ社の創業は1905年(明治38年)。というと「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」秋山真之参謀の歴史に残る電報…旗艦三笠にZ旗があがり、バルチック艦隊を撃滅した日本海海戦の年だった。

写真の車は、ハノマーグ社初の乗用車で、1気筒499cc10馬力・リアエンジン/チェーン駆動の後輪駆動車。幌型二座席ロードスターに、ハードトップのクローズド・ボディーもあった。

当時としては値段が安く、性能も良く、好評だったようで、1928年までの4年間で、1万5755台生産とあるから、当時としては立派なものである。

ハノマーグの乗用車登場は1924年(大正13年)で、東京初の乗合自動車(バス)が走り出した年。東京駅を起点に、巣鴨往復に22台、渋谷往復に23台、3分間隔、一区間10銭だった。

稼働開始が1月18日だから、関東大震災からわずか四ヶ月という早業。震災で寸断された市電(輸送)網早急復旧で、東京市は予算2000万円で、1000台のフォードを発注したのである。で、運行開始した11人乗りバスは、割り算すると1台あたり2000円。まとめ買いで、かなり安上がりだった気がする。

関東大震災でズタズタの電車網緊急復旧対策で登場のフォードT型バス11人乗り

が、運転手がいない。で、手持ちぶさたの市電運転手1000人を陸軍自動車学校で急ぎ教育したものだから、初日から事故続出、2月単月で90件というのだから、大変なことだったろう。

震災前、乗り心地の悪さで{ガタ馬車}と呼んだ公共馬車の別名が{円太郎馬車}で、その姿にバスが似ていたことから、さっそく{円太郎バス}と呼ばれるようになった。

震災前年に誕生し、地震でビクともしなかった丸ビル(左)

ハノマーグは、1928年頃になるとサイズを拡大、ディーゼル搭載車のパイオニアとしても知られている。1936年登場の1910cc35馬力ディーゼル乗用車は、性能も良く評判も良かったようだ。

それにエアロボディーを架装したディーゼル・レコードカーが、39年にディーゼル車の世界記録を樹立する。

記録は95マイル(時速152km)だから相当なものである。

さて、写真のハノマーグにはニックネームがある。{KOMMITZBROT}=独英辞典で{ARMY LOAF}とある。日本語なら{軍用パン}である。

きっと、ドイツ軍の食事に出てくるパンの形が、ハノマーグに似ていたのだろう。