【車屋四六】アンテナ発達史

コラム・特集 車屋四六

WWⅡが終わったころの日本は、満足な車が作れない自動車後進国だった。そんな日本が、どうやら満足な自動車を造れるようになったのが、65年/昭30年のころである。

国産化したルノー・ヒルマン・オースチン。純国産のクラウン、ダットサン110、フライングフェザー、量産日本初軽自動車スズライトSSなど、とにかくバラックみたいな車からの脱出だった。

この頃の日本は急成長まっしぐらで、55年頃を神武景気→59年頃は岩戸景気と呼び、マイカー時代の扉が開いたころでもあり、時代を表す標語は{モーレツ}だった。

60年になると、カラーTV本放送開始・受像契約500万台突破。世界初トランジスタTV登場。二輪車生産世界一に。日の出の勢いとは正にこのことだった。
が、マイカー増加でとばっちりが?新道交法の施行で、酒を飲んで運転が出来なくなり「困った」と仲間同士なげいたものである。

まだ困ったことがある。マイカー時代以前の自動車には専属運転手が居たが、マイカーになると駐車中は運転手が居なくなる。やがて戻ると「やられたー」と不愉快が待っている。

釘で傷つけられたボディー、フェンダーミラーやアンテナが折られる。もちろん偶発的事故ではない、やっかみによる悪意ある加害である。当然ベンツの星なんか、好適目標だった。

電動アンテナ:上部ケーブルはラジオのアンテナ端子へ・下部左はバッテリーへ・右はアンテナを上下するフレキシブルワイヤを内蔵。右は折られる?アンテナ三種

が、日本人の創意工夫のしたたかさは特技でもあり、フェンダーミラー+スプリングで折れたら復元という仕掛けが生まれ、星にもスプリングが付いて、ヤナセの日本専用補修部品が誕生する。

一方アンテナは、引き出せなきゃ折られないという理屈で、完全に押し込み、キーがなければ引き出せないという仕掛けが生まれたが、出し忘れて走り出すとラジオが聴けない。

人は我がままで、忘れた間抜けを棚に上げて「不便だ」と苦情を云う。また、雨や寒い冬などもおっくうだ。で、登場したのが、ダッシュボードのスイッチ/ANTを引けば、連動するワイヤがロックを外し、スプリングで20cmほど飛び出す新型が生まれる。

が、押し込むのを忘れて車を離れると折られる。また20cmでは、電波が弱い地域では受信状態悪化という苦情を、一挙解決と登場したのが電動アンテナだった。

こいつは車内から伸縮自在、途中で止めることも出来て喜ばれたが、しまい忘れると折られるのは相変わらずで、高卒初任給ほどがスッとんで、嘆き悲しむ顔も何度か見た。

もっとも高価なくせに、駆動部分のスリップで、全部引き込めなかったり、また出てこなかったりもする、いい加減な商品でもあったが、時と共に熟成して、ラジオのスイッチと連動するようになり、最後にはイグニションキーと連動するようにまで進化した。
またエンジン吸気の負圧で伸縮するアンテナなどもあった。

ちかごろのアンテナは、短く折れにくくなったが、長くても悪戯で折るような不心得者も居なくなった。自動車が珍しくなくなったこと、暮らしが豊になったなどの相乗効果なのだろう。

いずれにしても日本人の創意工夫が、日本的アンテナを生み発展したのだが、こいつは便利な道具として発展したとは云いがたく、折られることの防止対策だったような気がする。

電動アンテナ:フレキシブルワイヤをモーター部に巻き取るコンパクトになった新型高級品