【車屋四六】木を燃やして走る高級車ビュイック

コラム・特集 車屋四六

WWⅡ中ガソリンは統制物資で、民間の乗用車・トラック・バス、みな木炭車に改造された。もう木炭車と云う言葉は死語になった。
木炭車を日本の知恵が生んだ大発明と云う人がいるが、WWⅠが終わった20年代、自動車の動力源の一つとしてヨーロッパで生まれている。独、仏、英、伊など非石油産出国が生んだ知恵である。

このような木、薪、石炭、コークス、天然ガスなどで走る車を代用燃料車=代燃車と呼び、日本での俗称は木炭車。もっとも初めの頃は炭だったが、炭が貴重になると木片が主流になった。

日本の木炭車導入は陸軍主導だった。37年盧溝橋事件から上海事変は、現在日中戦争と書くべき支那事変へと発展した。一方欧州では39年ドイツ軍ポーランド侵攻でWWⅡの導火線に火が点き、41年の真珠湾攻撃で、世界中が戦乱にまきこまれるのである。

ここで、同じ戦いなのに戦争、事変、事件と区別するのは、単発的な交戦なら事件、長引けば事変、そして宣戦布告で本格的交戦なら戦争ということのようである。
支那事変は実質戦争だが、事変と名乗ったのは、国際法による制裁逃れが目的。が、実際は中国出兵で米国が石油輸出禁止の制裁発動で、これが日本に宣戦布告の決心を早めたと云われている。

で、事態を予測した陸軍は、日本の森林資源を考慮、薪ガス優先の代燃研究を始め、タール除去装置で特許まで取得している。もちろんサンプルカーを欧米から輸入と熱の入れようだった。

さて紹介するのは、ビュイック・センチュリー37年型。戦前からの代理店ヤナセが輸入して、公用車の経歴を持つ車だ。それを修復では名人芸のトヨタ博物館が、レストアしたものである。

たぶんヤナセで架装した装置の正規名は{愛国式・湿式横流式}。戦中、戦後も走っていたタクシーなどはトランクから大きな釜が突きでていたが、こいつはコンパクトに見事に収まっている。

ビュイックのトランクに上手く収まったユニット。放熱用スリットはあるが蓋を閉めれば不通のトランクという姿だ

仕掛けの説明をしよう。上部の蓋を開け、初めに少量燃えやすい細片と新聞紙などを入れ、上部に薪を一杯→点火→着火確認⑤(釜の蓋は閉めない)で電動ブロア④で送風/廉価型は手回し)→火が回ったらブロア停止→釜の蓋を閉じ、第一段階の作業終了。

蓋を閉じると酸欠で不完全燃焼ガス発生/500度前後→第一浄化器⑥の水で冷却、発生した蒸気は釜に戻す。ガスはコークス層⑦通過で粗炭粉除去→第二浄化器⑨濡れたシュロでガス中の不純物除去→放熱器⑤でガス冷却→第三浄化器⑥海綿{へちま}で更に浄化/この時点でガス温度は40~50度→キャブレターに。

キャブレター部で、薪ガスとガソリンが切り替えられるので、昔の変形ハイブリッドである。馬力は、ガソリン使用時の半分程度で、釜一杯50kgほどの薪で80~100㎞ほど走ったようだ。で、長距離走行では、薪を入れた袋を積んでいた。

戦争中のガソリン統制は戦後も暫く続いたから、運転したことがあるが、加速が鈍く、イライラしたものである。が、不純物混入のガソリンと異なり、エンジン内部やキャブレターが汚れず、オーバーホールが少ないので助かると運転手が云っていた。

戦後、進駐軍の兵隊が「ストーブカー」と呼んで喜んでいたが、ビュイックのような高級木炭車は、ついぞ見たことがなかった。もっとも釜剥きだしの一般車と違って、完全にカバーされたセダン形状だから気がつかなかったのかもしれない。

おすすめ記事