【車屋四六】極秘暗号解読で名将山本五十六大将戦死

コラム・特集 車屋四六

ボロボロ爆撃機残骸を何故?などと云っては困る。靖国神社に違和感がない日本人なら、手を合わせるべき残骸なのだ。

第362話で、B25の東京空襲を書いたが、その奇襲に危機感を抱いた山本連合艦隊司令長官は、アリュウーシャンからミドウエイを結ぶ戦場で、米機動部隊を撃破する作戦を企画、実行する。

東京空襲は42年4月16日。5月5日には大本営が山本長官に作戦実行を指示する。が、極秘情報は直ぐに解読され、米軍はミドウエイ周辺での迎撃態勢を準備する。

その海戦の前哨戦が珊瑚海海戦で、史上初の空母vs空母対決は相打ちで、祥風とレキシントンが沈没、翔鶴とヨークタウン大破で、双方あわせて空母4隻が戦列から去った。

5月27日広島を出航した山本長官の旗艦大和が指揮する機動部隊は、空母6、戦艦11、重巡10、軽巡6、駆逐艦53,総勢350隻、飛行機1000機、参加将兵10万名という大部隊。
対する米艦隊は、空母3,重巡7,軽巡1,駆逐艦15だから、駿河の今川義元の軍勢2万5000に対し2000名で奇襲を掛け大勝した織田信長桶狭間の戦いを想い出す。

結果は、加賀、蒼龍、赤城、飛龍、空母4隻と重巡三隈沈没。飛行機325機、将兵3500名戦死。一方米軍は、空母1隻、駆逐艦1隻沈没。飛行機150機(含ミドウエイの陸上機)、戦死307名。

日本には大勝利と報道された。が、実際はこの海戦が日本の負け戦の始まりだった。7月隼戦闘機で有名な加藤中佐がビルマで戦死。8月ガダルカナル島の攻防、ソロモン海戦と負け戦続き。

8月の海戦では「夜見えないのに」と米軍初のレーダー射撃にうろたえた。ガダルカナル島、通称{ガ島}は42年暮れ頃、現地では{餓(が)島}と囁かせるほどの苦戦続きだった。

さて、本題に入ろう、戦況不利の士気高揚を目的に、山本長官が前線基地を巡回訪問することになった。その旅程日程は、米軍の暗号解読で、待ち伏せ攻撃計画が立てられた。
{山本は時間厳守}という米軍資料が根底にあり、結果はそれが的中、長官機は撃墜され、戦死した。

機体側の解説図。大和艦上の五十六肖像写真と当日の飛行ルート図/長官機はラバウル離陸/米戦闘機はガダルカナル離陸/ブーゲンビル島で待機・撃墜と判る

43年4月18日、6機のゼロ戦護衛の三菱一式陸上攻撃機(一式陸攻)がラバウル基地を離陸してブーゲンビル島に向かった。
一方、ガ島を離陸した16機の双発ロッキードP38戦闘機は、ブーゲンビル島上空で待ち伏せ、時間通り飛来して、一式陸攻二機が撃墜された。

右エンジンから火を噴いた長官機はジャングルに墜落したが、密林への不時着ぶりを、後で調査した米軍パイロットは「見事な腕前」と褒めたという。

墜落翌日、日本軍が捜索発見した時、頭と胸に銃弾を受けた長官は、軍刀を膝に挟み座席に端然と座っていたと報道されたが、戦後、未だ息のある長官を瀕死の乗員が着座させたようだとの報告を読んだ。墜落当日の発見なら助かったのでは、と。
余談だが、護衛に失敗したゼロ戦搭乗員達のその後は惨めで、危険な戦場、危険な戦場と転戦命令が出たという。

一式陸攻は、39年完成した三菱の傑作。5000㎞を超える航続距離を生かし敵艦を洋上攻撃、時に魚雷攻撃という思想で生まれた。空冷星形1530馬力二基、最高速度428㎞。2400機生産。
開発中に独特な葉巻型胴体を見たドイツ人技師が「ドイツでも四発でなければ飛ばない」と云った、とFISCOで再開した、三菱陸攻の本庄季男主任技師が得意そうに笑っていたのを想い出す。

威風堂々編隊の一式陸攻。機長が操縦席からの撮影だろう/左発動機ナセルのフラップが開いているから高気温の南方戦線だろう

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