【車屋四六】サファリで三冠達成

コラム・特集 車屋四六

昭和一桁生まれの戦争とは太平洋戦争だが、桁が変わるとベトナム戦争になる。ベトナムは、WWⅡ以前は仏印=仏領インドシナと呼ぶフランス統治国だった。

45年日本の降伏で、仏印は独立宣言。それが苦難の始まりとなる。未練を残すフランスがちょっかいを出して戦争を始めるが、54年のディエンビエンフー陥落で統治回復を諦めると、64年に反共を旗印に米国が因縁を付け、戦争を仕掛けた。

が、米国は大兵力を投入するも、年々泥沼にはまり込んでいくが、日本にとっては対岸の火事だった。
が、そんな67年、一億働き蜂化した日本に名車が生まれる。
日産の失敗作、ブルーバード410の後継、510の登場である。

日産の名車なら、国内的にはブル310型だが、510型は{ブルーバード此処にあり}と世界に認めさせた名車なのである。

スパーソニックラインと名付けたシルエットは、当時はハイテクの結晶ジェット戦闘機イメージで、ロングノーズ、ショートデッキと、側面から見ればクサビ型というスタイリング。三角窓が消え、側面のガラスがカーブドグラスというも斬新だった。

新開発エンジンは、高回転指向の典型的オーバースクエア型で、斬新なOHCと相まって、1296cc/72馬力、1595cc/100馬力と、力強さにあふれていた。

その高出力を消化するサスは、ベンツ流にデフを固定した四輪独立懸架で、これまでにない高い操安性を生み出していた。510開発は、アメリカ日産片山社長からの強い要望が生かされていた。

片山社長は、アメリカ市場で世界の小型車相手の戦いを考慮しての要望。一方、本社の目標は、410の失敗で失った市場を、コロナから奪い返すということだった。

偶然というか強運というか、その両方がダブって生まれた車が{瓢箪(ひょうたん)から駒を出した}のである。世界的にブルーバードを認識させるという{大金星}を射止めることになる。

サファリを疾走するブルーバード510

大金星は68年のサファリラリーで射止める。その年、日産ファクトリーはセドリックを投入したが、試験的に市販仕様のブル1600SSSを投入したのが、大当たりしたのである。

走り出すと、観客ばかりかライバル達も目を見はる快走。勝負に“たられば”は禁句だが、もし現地人の投石がなかったら、それでナビゲーター負傷でリタイアしなければ、と誰もが思った快走ぶりだったのである。

翌69年のサファリは、予想どおり510大活躍。ノーマル100馬力SU二連装のまま120馬力に強化の510四台が、総合三・五・七位入賞、クラス優勝、メーカーチーム優勝も勝ち取る。

が、それだけではない。ファクトリーチームの活躍である。
ソレックス二連装で130馬力に強化の510は、豪雨・泥濘を快走して、総合優勝、クラス優勝、チーム優勝と、念願の三冠王達成を日産にもたらせたのである。

もっとも、69年のサファリラリーは、安く頑丈を実証した前年市販車の快走からの信頼で、参加車両97台のうち、なんと32台がブル510という様相を呈していたのだ。

日産のサファリラリー挑戦は410型で始まり、8年目にして完全制覇を果たした。
一方、ベトナムの泥沼にはまり込んだアメリカに、朗報はついに届かず、やがて負け戦を認めて、ベトナムに平和が戻るのは、73年だった。

晴海の東京モーターショー駐車場で見つけた来場者のブルーバード510