【車屋四六】カムリが前輪駆動に

コラム・特集 車屋四六

トヨタ・カムリと名付けた新型車が誕生したのは昭和55年=80年。ルービックキューブなんて変わった玩具に、大人が夢中になっていた頃だった。

カムリの一部車種には、未だ贅沢だったパワーステアリングやチルトステアリングを装備。更に、常識化する前のフットレストを全車装備で、スポーティーを強調していた。

初代の寿命は意外に短く、82年のフルモデルチェンジのとき、基本を180度転換という大変身を遂げる。オーソドックスなFR・後輪駆動から前輪駆動・FF(FWD)に転換したのである。

御承知のように、日本でのFWDのはしりはスズライトフロンテで→スバル1000→ホンダN360と続くが、トヨタのFWD化は日産にも遅れをとり業界最後発だった。
トヨタの重い腰は78年にようやく上ったわけだが、ターセル、コルサで参入して、それからの進化は早かった。

二代目のカムリは、MK-Ⅱとコロナの中間が守備範囲で、FWD化のメリットを最大限に生かし、感心するほど広いキャビンに誰もが感心した。その広さは、上位のMK-Ⅱ、いやクラウンさえ凌ぐと話題になったものである。

初代カムリ。FR時代でスポーティー名走りが好評、リアフェンダーに電動アンテナが伸びている

全長4400㎜、全幅1690㎜の常識的寸法内に、常識破りの広さは、まさにFWDの御利益としか云いようがなかった。
3月に登場した時、エンジンは1.8?で100馬力。7月になると四速ATを追加、8月には2?120馬力を追加と戦闘力を強化した。

ちょうどその頃、NHK教育TVでパソコン入門講座が始まった。それはPCの大衆化時代を示す時代の証だが、カムリもエレクトロニック・ディスプレイの採用で、斬新さをアピールしていた。

小型になり普及が始まった頃の初期ワープロ。下段にはキーボード、上段プリンター。当時記憶媒体は8吋ディスケットで、後に5吋→フロッピーディスクに

二代目登場の翌83年、ワープロの普及が上昇。一方国産車にも斬新部品が登場する。諸外国からの圧力、非関税障壁回避で、輸入車だけのものだったドアミラー解禁で、早速カムリも装備した。

この頃トヨタは、新時代エンジンと呼ぶレーザー型エンジンを順次搭載していた。カムリのレーザー2S-ELU型は、直列四気筒OHC、1995cc、120馬力は電子制御燃料噴射/EFIが斬新だった。
車重1045kg/5MT。FWDの前輪は冷却効果が高いベンチレーテッド・ディスクブレーキを採用、185/70R13というラジアルタイヤも、当時ではスポーティー感を生み出す演出に寄与した。

画期的カムリは、トヨタの上級指向ユーザーにFWDという新機構を認めさせるということで成功して、ファンを掴み、次のフルモデルチェンジを86年に迎えることになる。

86年は、昭和で云えば61年。日本は開闢(かいびゃく)以来の好景気に沸いていた時代だった。バブルは最大に膨らみ、円高ドル安、庶民の懐は豊に財テクブーム、地上げが連日の話題で{地上げ屋}なる言葉も生まれる。
使い捨てカメラ=レンズ付きカメラ登場、女の子の{朝シャン}妙な流行でシャワー付き洗面台なんてものが売り出される。