【車屋四六】カロッツェリアとコラボの稀少名品

コラム・特集 車屋四六

世界で初めて飛行に成功したのはアメリカ。が「何ごとも世界一」と思い込むフランス人は、田舎者アメリカの一番乗りは許せぬ屈辱で「こいつはガセネタ」とマスコミが片付けて胸をなでおろす。

フランス人の初飛行は、ボアザンファルマン一世号がセーヌ河畔の練兵場で1㎞の飛行に成功して、負けず嫌いのフランス人が胸を撫で下ろしたのが、5年後の1908年のこと。

ランチャは、そんなことがあった08年にイタリアで誕生。“高性能・斬新技術”がモットーで、それは伝統的に守られて、22年登場のラムダは世界初のモノコックボディだった。
またWWⅡが終わり、51年登場のオーレリアは、GT=グランツーリスモ思想の草分けと云われている。

WWⅡ以前ランチャは高級車だった。が、戦後転向した小型は、50年代に僅か輸入されただけで、忘れられた存在になっていた。
が、世界ラリーでの活躍が伝わって、一部の日本人が認識を新たにし輸入も再開。もっともツーの車的存在だから、それほど目立つ車ではなかった。

サーキットで活躍してた頃の1953年型ランチャレーシングカー・V6 2962cc 250hp/7000rpm

ヨーロッパのラリーで活躍する以前日本人が忘れていた時代も、欧州ではマニアが好むスポーティーカーとして根強い人気があり、カロッツェリアと組んで、数々の名作を残している。

ドイツのロッソビアンコ博物館で見つけたランチャ・フルビアスポルト・ラリー1.3Sは、マニアが名品と呼ぶ一台で、カロッツェリアの重鎮・ザガートとのコンビで誕生した車である。

聞くところによれば、68~75年までに202台が送り出されたと聞く。写真の車は、ラリー1.3Sの名で活躍した車である。
ボンネットが大きく開くので、整備がしやすいので喜ばれたが、少々どぎつい姿を嫌う人も居た。

全長4090㎜、長目のホイールベースが2330㎜を利用して生まれた、前後オーバーハングの短さから生まれる、際どいハンドリングがラリーでは評判が良かったおうだ。

基本は前輪駆動。右に傾けて搭載したエンジンは、見た目直四DOHCだが、実はV型四気筒OHC。よく見ればスパークプラグがジグザグに並んでいるのでV型と判る。
9.2という高圧縮比と二連装キャブレターと相まって、6000回転で92馬力には、さすがと感心したものである。

日本で同じ車を運転した時に、なんと乗りにくい車だと感じたのは、四速マニュアルギアが、日本の道路事情に合っていないからで、生まれ故郷の速度無制限アウトストラーダで走ったら、さぞかし快適だろうと思ったりした。

この車誕生の68年、日本で世界記録が生まれた。
アメリカ大リーグの名投手コーファックスが樹立の年間奪三振382を破る384という記録が、名古屋中日球場で生まれた。
が、その日は10月3日で、未だシーズン途中。で、シーズンが終わったときには、401本という大記録が生まれていた。
新しい記録保持者となったのは、阪神タイガースの江夏豊である。

大型高級スポーティーが売り物だった戦前1938年型ランチャ/ロッソビアンコ博物館