【車屋四六】ホールデンと云っても役者ではない

車屋四六 コラム

東北自動車道を那須インターで降りて直ぐのところに那須クラシックカー博物館がある。96年に訪れた時に見つけたのがホールデン1954年型、日本では稀少な車である。

ホールデンと云えば、有名なのはアメリカの名優ウイリアム・ホールデンだが、今回は人でなく車の方である。

オーストラリアのホールデン社は、GMの100%出資子会社で、48年から乗用車製造を始めた。

私にとりホールデンは懐かしい。第二次世界大戦の後、我が家のある麻布界隈を走っているのを見掛けたからである。

御承知のように、麻布界隈は敗戦でやってきた進駐軍の巣窟みたいなところだったから、オーストラリア軍やニュージーランド軍のキャンプもあり、そこで使っていた車だったようだ。

ホールデンが乗用車を作り始めた1948年、日本は敗戦から3年目。当時の我々の思い出は、空襲の焼け跡に建つバラック・闇市・食料不足・空腹・着る物もなく、とにかく貧しい時代だった。

ホールデン・コマーシャルバン

が、GHQ(占領軍最高司令部)では世の中落ち着いたと判断したのか、新聞通信社の事前検閲廃止。またシベリア復員兵がNHKのど自慢で”異国の丘”を唄って鐘の連打、作曲家吉田正が表舞台に躍り出て、唄も流行する。

ラジオから♪湯の町エレジー♪憧れのハワイ航路♪君まてども♪フランチェスカの鐘♪が流れていた頃である。

花森安治の“暮らしの手帖”創刊もこの年。

写真のホールデンは、フルモデルチェンジ直後だが、単なるフェイスリフト。内容は1948年型変わらず、さしたる性能進化はない。

全長4500㎜、全幅1650㎜・直四・2171cc・61馬力/3800回転。3MT・前輪Wウイッシュボーン/後輪半楕円リーフ・リジッドアクスル・タイヤ550-15・電装6V。

一応フルモデルチェンジと云う1954年モデル登場の頃、日本は外国映画全盛時代。ローマの休日でスター街道を走り出したオードリーヘプバーンの人気は、次作“麗わしのサブリナ”で決定的となり、メルファーラーとの結婚も話題となった。

グレンミラー物語の人気で“茶色の小瓶”が流行、ビングクロスビーの“ホワイトクリスマス”や、アーサーキッドの変な唄“ウスクダラ”等々、ジャズ全盛時代でもあった。

ホールデンがGMの子会社だったことで、日本にも影響が及んだ。GMと提携中のいすゞが、ホールデンの大型乗用車を輸入“ステイツマン・デビル”の名で売り出した。

逆に、いすゞ製ジェミニを、ホールデン社がオーストラリアで販売というのも実現する。

マツダ・ロードペイサーAP/1975年:ホールデン社の大型ボディーを輸入してマツダ自慢のロータリーエンジンを搭載

GMとは関係ないが、ホールデンの大型乗用車をマツダも輸入販売している。もっとも輸入したのはドンガラだけで、それに自慢のロータリーエンジンを搭載した“ロードペイサー”である。

いずれにしても、ホールデンの六人乗りセダンは、デザイン的にも性能的にもたいしたことはなく、面白みなど皆無の車だったが、私個人としては、懐かしいオーストラリア製乗用車の一台なのだ。

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