【車屋四六】プリンス・グロリア・スーパーシックス

コラム・特集 車屋四六

太平洋戦争前、私の幼稚園時代はキンダーブック、戦中の小学生時代の定期購読は少年クラブだった。
少年少女を対象の雑誌が何時の時代にもあるが、やがてテレビの普及で人気がなくなり、60年前後になると消えはじめた。

その頃、漫画週刊誌の創刊が相次いで、“月光仮面”がんばれごんべ“幕末風雲伝”などが人気。また、TVの普及で、紙芝居から子供達が離れていった。

そして59年にスカイラインをベースにグロリアが誕生する。日産と合併する前のプリンス自動車からである。
やがて二代目スカイラインがダウンサイズするが、中型に発展した二代目グロリアは、ライバルのセドリックやクラウンとはかけ離れてゴージャス、しかも容姿はアメリカンに変していた。

二代目誕生の62年は、正当派子供雑紙受難の時代。歴史ある少年クラブ、少女クラブ等が廃刊する反面、少女フレンド、ゴリラマガジンなどが創刊、月刊誌から週間紙時代への節目でもあった。
当時の人気は“おそ松くん/赤塚不二夫”“アサカゼ君/サトウサンペイ“”忍者武芸長/白土三平”などだった。

近頃、日本での人気は欧州車だが、当時はアメリカ車ダントツ人気、憧れの時代らしく、二代目の容姿は見事にアメリカナイズされ、メッキのモールが取り囲む姿は実にゴージャスで魅力的だった。

また、日本最高のメカを自負するプリンスらしく、性能もトップレベル。それは「よいものだけを世界から」がキャッチフレーズのヤナセが、販売を引き受けたことでも証明できるだろう。

 

“2ℓ以下では日本初の六気筒エンジン”は二代目のキャッチコピー。あえて2ℓ以下との表示は、既に四ヶ月前にセドリックが2825cc六気筒を搭載していたからである。開発中は、密かに日本初六気筒を念頭に懸命努力だったのだろうが、セドリックに先を越され、さぞかし無念だったろう。

上記コピーを旗印に、二代目にグロリア・スーパー・シックスが戦列に加わった。ラジエーターグリルとトランクリッドに“Super6”の金バッジが誇らしげに輝いていた(写真右)。
六気筒では日本初を逃したが、メカでは日本初を自慢できた。オーバーヘッドカムシャフト=SOHCは、正真正銘、日本製エンジンでは初登場だった。

グロリアは同じ2?エンジンでも、OHV四気筒の方は94馬力だったが、SOHC直列六気筒は105馬力。とうぜん最高速度も145粁から155粁へとアップしたが、値段の方は117万円から119万円と予想外に差が少なかった。

スーパーシックス登場の63年=昭和38年は、相も変わらず正当派雑紙の受難時代で、少女、少女ブックなどの廃刊が続く反面、週間少女フレンド、少年キングなど週間紙が創刊される。

わたしが子供頃「漫画は子供のもの大人が読むものではない」と育てられた。そんな時代に育った連中は、大人が漫画を読む姿を見て「一億総白痴化がはじまった」と憂えたものだった。
昭和15年、隣の一年先輩が小学校を卒業したとき、近所の子供達が大勢集まった。何だろうとのぞくと「明日から中学生」と云って、溜め込んだ漫画を「ほしいだけ持ってって」ということだった。

さて、グロリアのストレートシックスは、予想外なところでも人気者になる。
ダウンサイズしたスカラインに心臓移植されて、第二回日本グランプリで、大活躍し名を挙げる。
名車スカイラインGTの誕生である。

スーパーシックスの心臓、直6OHCを移植。日本GPでポルシェと一騎打ち・後の世まで残る名勝負で名を残したスカイラインGT