【車屋四六】カムリ2000GT

コラム・特集 車屋四六

カムリ誕生は80年。70年代末、カローラの上位機種として登場の、カリーナのマスクを換えて仕上げたのがカムリだった。
そもそもカリーナは、スペシャリティカーのセリカを元に仕上げたフォードアバージョンらしく、スポーティーが売り物だから、生まれたカムリも、スポーティームードだった。

そもそもカリーナという車種、上級車種がないカローラ店のたっての要望で、評判上々のカリーナ流用で仕上げた、一卵性双生児的クルマなのである。
そしてセリカカムリを名乗るように、母体のカリーナより、更にスポーティームードが演出されていた。

で、登場したカムリは、カローラ店はもちろん、ディーゼル店、また80年に新設されたビスタ店でも扱われるようになる。
80年という年は、ソ連のアフガン侵攻を非難したカーター米大統領の呼びかけに賛同して、日本、ドイツ、フランス、イギリス等の、モスクワ五輪ボイコットが話題なった年である。

誕生したカムリの車種構成はスリーボックスだけ。
特徴の顔は、トヨタのイニシアルであろうTをモディファイしてスポーティー感を盛りあげている。
このT顔はトヨタ2000GTやセリカXXなどの先輩があり、それから頂いたスポーティー演出と我々は受け止めた。

が、そんな演出とは裏腹に、心臓の方が物足りない。12-TU型・直四1.6ℓOHVの88馬力と95馬力という品揃えは、スポーティーを期待したユーザーを、少なからず落胆させてしまった。

仕方なくトヨタは出力向上という手を打つ。1.8ℓOHCをEFI(電子制御燃料噴射)で仕上げた3T―EU型を追加する。
更に2ℓOHCの21R―U型も追加するが、両エンジン共に105馬力という出力に、ユーザーは首をかしげたものである。

それはそれとして、更に強力バージョンが登場する。レースで鳴らしたDOHC版・18R-GEUを載せたのだ。
このエンジンEFI化されてはいたが、かつての元気は排ガス対策で失っていた。が、それでも135馬力/17.5kg-mという実力で、文句なく元気を楽しめるようになった。

そして、聞くからに元気が出そうなネーミング、2000GT を名乗ったのである。
ちなみにカムリ2000GTの値段は、151.6万円。最廉価の1600LFの99.6万円と比較すれば、スポーティーセダンのために、かなりな出費が必要な車となった。(写真下:カムリ2000GTのインパネ。直線基調で五速フロアシフト)

2000GTは、四輪独立懸架に加えて、当時としては先進的な五速フロアシフト、四輪ディスクブレーキ、バケットシート等々、スポーティーさの演出に余念がなかったが、インパネやコンソールに木目を貼り、高級感の演出にも抜かりがなかった。

さてカムリ誕生の80年は昭和55年。
「どうもすいません」で知られる天才落語家・林家三平が肝臓癌で逝った年だが、日本中が漫才ブームの真っ最中だった。
ブームの切っ掛けは、花王名人劇場の漫才特集で、その後、お笑いスター誕生などの有名TV番組が誕生する。
そんなTV番組から飛び出してきた、ツービート、B&B、のりおよしお、伸介竜介、セントルイスなどがスターの座にのし上がり「田園調布に家が建つ」「赤信号みんなで渡ればこわくない」などの流行語も生まれるのである。

サラブレッドの心臓18R-GEUエンジン。梨地仕上げ塗装のヘッドカバーに重厚さと高性能を感じたものである