【車屋四六】スポーツカーからグランツーリスモへ

コラム・特集 車屋四六

快適機能排除性能優先がスポーツカー本来の姿。フェアレディーも2000までは全てそれ。古典的な解釈で開発され、スパルタンと云う言葉が似合う日産最後の量産スポーツカーだった。

スポーツカーは重量級、軽量級の違いがあっても、レース念頭に開発され、フェアレディーもサスペンションやエンジンのチューンナップキットを使って“追浜チューン”とか“大森チューン”とか云って、更に性能向上を目指しレースに励んでいた。

さてスポーツカーとは区別されるグランツーリスモ=GTと呼ぶジャンルがある。普段は快適なツーリングを楽しみながら、いざ鎌倉と云うときには、スポーツカーに一泡吹かせるという上等贅沢な乗り物である。

WWⅡ以前、カロッツェリア特注のGTなどは一握りの金満家御用達だったが、WWⅡが終わり、戦後の経済的後遺症も消え生活にゆとりが生まれるにつれ、誰もがGTが欲しいという時代がきた。

戦争というものは消耗する兵隊の補充に手を焼く。で、日本では「産めよ・増やせよ」をスローガンに子作り奨励。が、戦後を夢中で働き所得が増えるにつれ、人々は遊興贅沢に目覚めはじめる。
で、子供は少なく、が定着して、コンドームの自動販売機が日本に初登場したのが68年だった。

世界はもちろん、敗戦国日本でさえ贅沢な消費生活が始まる68年に、快適走行をコンセプトのフェアレディーZが誕生する。
オープンロードスターからクローズドボディー生まれ変わったZは、乗用車並の快適居住空間を備えながらスポーツカー性能も併せ持ち、当時としては贅沢なエアコンまでオプションできた。

もっとも、マツダコスモ、いすゞ117、トヨタ2000GTなども存在し、日産が突出先行したわけではないが、少量生産に対してZは大量生産というところが大きな違いだった。
乗用車的に乗れるスポーツカーが安く買えるようになったのだから、一般ユーザーもGTに興味を持ち始めるのだから、Zの功績は大きいのである。

旧型フェアレディーも量産スポーツカーではあったが、Zは月産2000台という当時としては非常識の大量生産を目標に開発されていた。

東京モーターショーにお目見えしたフェアレディーZには、日本グランプリの覇者R380の心臓、S20搭載車もあって、マニアの興奮を誘ったものである。(写真下:日本GPを制覇した日産R380の心臓S20を搭載したフェアレディーZ432。外見は一見普通のZだがいざ鎌倉となれば韋駄天走り“狼の皮を被る羊”だった)

発売当時の車種と値段は、L20型OHC搭載車Zが93万円、Z-Lが108万円、そしてS20搭載のZ432はさすがに高価で185万円。ちなみに、L20(1998cc)130馬力+5MTのZの最高速度は185㎞、Z-Lが195㎞、そしてDOHC160馬力搭載Z-432が205㎞だった。

日本放送=NTVから、NHKの全放送時間が完全カラー放送となった71年、フェアレディー240Z(150万円)が日本市場に登場する。
240Zはアメリカ向け輸出専用2393ccのL24型150馬力を載せたもので、という長の長い鼻ズラで、愛称をGノーズと呼んだ。

高出力高性能スパルタンなZ432はサーキットを暴れ回るが、240Zも排気量の余裕を武器にレース場で、また過酷なサファリラリーで、二度も総合優勝の栄冠をもたらせたのである。

74年になると、2by2と銘打つ四座席型が149.8万円で登場して、これまでの客層以外の新しいユーザーの掘り起こしにも成功する。レースにはあまり興味はないが、スポーティーな車で走りたいという、いわばグランツーリスモが気に入ったユーザー達だった。

当初アメリカ市場専用車だが日本市場にも登場Gノーズと愛称の長鼻のフェアレディー240Z。トルクが太く乗りやすいGTだった