【車屋四六】326話 四輪起動車って知ってますか?

コラム・特集 車屋四六

今や四輪駆動は常識的駆動方式の一つだ。その四駆、一般的に元祖はアメリカ軍のジープという印象だが、アメリカ軍は39年にポーランドに侵攻したドイツ軍から学び、慌てて開発したもの。

が、自動車先進国アメリカ軍は慌てたが、自動車後進国の日本陸軍なのに慌てなかった。既に四輪駆動車開発を終えていたからだ。もっとも生産という段になると、彼我(ひが)の差は大差となるのだが。

日本陸軍の四輪駆動車登場は、なんとジープが登場する6年も前のこと。その名を、95式四輪駆動車、いや日本軍の正式名では、四輪起動乗用車である。(写真下:日本自動車博物館展示の“くろがね四起”。このような急登坂も可能のデモンストレーション)

95式誕生は、35年だから昭和10年。軍国日本では皇紀2595年。日本製兵器の習慣で95年誕生は95式に。ちなみに2600年誕生で零(レイ)式戦闘機、2601年誕生の隼は一式戦闘機である。

また四輪駆動と云う言葉は戦前になく戦後使い始めた呼称で、戦前は起動車。その起動車は、日本内燃機製なので“くろがね四起”と呼ばれた。

四輪起動車の効果を認めた陸軍が、次ぎに求めたのは軽自動車型四輪起動車で、日本内燃機、陸王、ダイハツ、岡本自転車、京三製作所に試作を命じ、38年にプロトタイプが納入されたが、何時の間にか沙汰止みになってしまった。

陸軍の軽四起は実現しなかったが、ドイツ軍のベンツ四輪駆動車と肩を並べる大型乗用車、98式四輪起動指揮官車が量産された。いすゞ製で、ディーゼル、ガソリン、両仕様を量産。ちなみに、終戦までの95式の総生産量4775台、98式指揮官車の方は1万0048台である。

さて、大量生産された98式には、縁の下の力持ちが居る。95式採用以前に没になった、三菱造船開発の“ふそう四起”である。
ふそう四起は没になったが、その技術が生かされて98式が生まれたと聞いている。

四式だから2604年に正式採用された、小型四起貨物車なるものがあった。が、終戦1年前のドサクサ時期らしく、残念ながら量産されることはなかった。
開発はトヨタ。陸軍が南方戦線での分捕りジープを参考に開発依頼を受けたもの。発注時「ジープの姿に似てはいけない」と但し書きが付いていたというところが、ケツの穴が小さい日本陸軍らしい。

四式小型四輪起動車はジープを上回る性能だったようだが、量産できず、実戦参加もなかったが、無駄骨折りとはならなかった。
戦後、警察予備隊(現自衛隊)の要請でジープを開発した時に役立ったと聞いている。

予備隊の要請で試作に応じたのは、トヨタ(ジープ)、日産(パトロール)、三菱(ジープ)だが、ライセンス生産の三菱ジープが金星を射止めたのは御承知の通り。
ちなみに、トヨタのジープは、商標権の関係でランドクルーザーの名で民間需要に対応することになる。(写真下:警察予備隊向け四輪駆動車を、日産トヨタとの受注競争に勝って正式採用の三菱ジープ)

 

さて、日本製ジープは、ジープの商標権を保持するウイリス社がカイザーフレイザー社に吸収合併されてから、三菱がライセンス契約を交わしたものである。

53年=昭和28年の日本はTV元年。2月1日午後2時に古垣鉄郎日本放送協会会長の挨拶で、NHKテレビの本放送は始まった。

その日、NHKと視聴契約をしていた家庭が866軒で、うち482軒が手作りだったそうだ。理由は簡単、TV受像器が高額商品だったからだ。
大卒初任給が、ようやく8000円に届いた頃で、松下製受像器17吋が27万円じゃ、とても庶民に手が出せるものではない。で、エレキに詳しい人は自作。わたしも30年に自分で組み立てた。
もっとも、居回りの金持ち達はアメリカ製21吋だった。

一方、日本TVは、8月28日の本放送を控え、都内29カ所、周辺13カ所の繁華街に街頭テレビなるものを設置した。
昭和40年頃、三浦半島のシーボニアヨットハーバーで、当時売れっ子の前田武彦、通称マエタケに合ったら「テレビの仕事してるというのに家にテレビがない・高くてね・だからTV局の帰りに街頭テレビを見て帰ったものだ」と話していた。
当時は録画装置など無いから全て生放送「自分の放送を見たのはかなり後のこと」とも云っていた。

ちなみに街頭テレビの21インチ型受像器は、ヤナセが輸入納入したアメリカ製で、頑丈木箱に格納され高い所に設置され、放送時間開始直前に係員が南京錠を外し、観音開きのドアを開けてくれるのである。