【車屋四六】日本では育たない小さな高級車

コラム・特集 車屋四六

“小さな高級車”と銘打ちトヨタからプログレ登場は98年。それから9年間、2007年に引退して後継車がないのは困ったものだ。
クラウンとプラットフォームを共用、全幅1700㎜の5ナンバーサイズをセルシオレベルで仕上げたユニークな高級小型車、モデル末期でもそこそこに売れていたのだから、もったいない。

が、欧米先進国ではこの手の車が結構ある。その良い例が、格安大衆車ミニから発展したバンデンプラス1300。
写真の1300は、六本木ロアビル横の駐車場で発見。推測するに、向かいの犬猫病院がオーナーのようだが、古いのに手入れの良さを見るにつけ、その人柄が目に浮かんでくる。

1300はモーリス1100をベースに生まれた。1100は、59年に登場のミニ(ADO15)を大柄にしたもので、それは日本で初代ブルーバードが登場し、伊勢湾台風襲来の年である。

伊勢湾台風では苦い想い出がある。箱根への途中、藤沢の交差点の信号待ちでトラックが急接近してくるのがバックミラーに見えた。凝視すると、運転手が眠っているではないか。
が、直前の横断歩道は五歳前後の女の子で逃げようがない。ちから一杯ブレーキを踏みながら追突を待つ気分は格別だった。
名古屋の運送会社で損害を弁償することで一件落着、と思ったら勘定取りっぱぐれた。伊勢湾台風で会社が浸水、トラック全滅、何とか勘弁してくれというのである。
で、我がジャガーMK-Ⅶは自腹で修理ということに。

ミニの開発コンセプトは究極の大衆車のはずだったが、売り出すと意外や裕福な客も居た。そんな連中の「フォードアはないの」との要望で生まれたのが、フォードアの1100(AOD16)だった。

小さいながら元々スペース効率抜群のミニのホイールベースを伸ばしたのだから、ビックリ広さのキャビンが生まれ、ピンファリナの手になるお洒落な姿、そして独特ハイドラスティック・サスが生み出す絶妙な乗り心地に、誰もが無条件に感心した。

で、評判の良さに、初めのモーリスから、ウーズレイ、MG1100と仲間が増え、更にバンデンプラス1100と顔ぶれが揃った。
1100の登場は、ブルーバード410登場の63年で、第一次ボーリングブームの最中。新車登録が年間100万台を超え、日本はマイカー時代直前という時代だった。

やがて1100に55馬力ではパワー不足の声が出て、1300・65馬力が登場するのが68年。日本で初代ローレル登場、運転席シートベルト着用義務化、交通反則金通告制度発足の年だった。

さて、バンデンプラスとは、王侯貴族金満家ご用達、イギリスのボディー架装会社で、ロールスロイスやダイムラーなどが得意先という名門老舗である。

かつて135プリンセスと呼ぶ大型オースチンは、ダイムラーなどと肩を並べる高級リムジンで、バンデンプラス製だった。

オースチン135。バンデンプラス製カスタムメイド・リムジンでマカオ総督の公用車

そんな高級架装屋が手を加えれば、ミニの高級版は更に高級になり、プログレ同様、高級オーナーの乗り物になる。
革をふんだんに使い、木目の美しいウオルナットを配したインテリア、前席背には高級リムジン並みの後席用木製折りたたみテーブルまで備えるという格式高き仕上げである。

馬車時代からの高級伝統架装を施した1100/1300は、残念ながら合理化の名の下に姿を消したが、それまでに送り出された約3万9000台が、マニアの手の中で大切に乗られて今も生き続けている。
六本木のバンデンプラス1300も、その中の一台なのだ。