【車屋四六】スバル1300G

コラム・特集 車屋四六

富士重工に百瀬晋六と呼ぶ天才技術者が居て、開発したスバル360が日本に軽市場を生み出す原動力となるのだが、軽自動車が成功すれば、次は登録車開発、それは当然の成り行きである。

「ユニークな車が必要」という、当時横田社長が開発者として白羽の矢を立てたのは、当然のように百瀬晋六だった。
当時既に日本市場には、カローラ、サニー、コロナ、ブルーバードなどの先輩強豪がシノギを削っており、そんな市場に切り込むには、常識から外れたひと味違う車という戦略だったのである。

NHK大河ドラマ第一作、尾上松緑と佐田啓二主演“花の生涯”放映開始の63年に、富士重工の新登録車開発が始まった。
その開発が終わる3年後の大河ドラマは“源義経”。主演の尾上菊之助(現菊五郎)は、共演が縁で藤純子と結ばれる。そんな66年に、富士の新登録車、スバル1000は   産声を上げる。価格49.5万円は、ライバルカローラやサニーより割高だが、ズ抜けたユニークさを天秤に掛ければ、十分釣りが来ると感じたものだ。

スバル1000:東京晴海の自動車ショー会場で

市場の反応は、スバル360同様、日を追う毎に1000のファンが増加していったことで証明できよう。

FWD/前輪駆動、水平対向四気筒、水冷にもかかわらず冷却ファンな。斬新なインボードブレーキ。ひとクラス上のコロナやブルーバードより広いキャビン、FWDのメリットを最大に生かしたフラットな床、ゴルフバッグが5個も入るトランクは、今の車にも見習って欲しいものである。

しっかり作り込まれたシートと優れたサスペンションの相乗効果は優しい乗り心地を生み出し、冷却ファンがない騒音の低さと相まって、長距離で疲れないという強い印象を受けたものである。

ただ、当時既に馬力競争が始まっていて、最高速度130㎞だけが物足りなかった。が、69年1100ccになったff-1では145㎞に、そのスポーティーモデルでは160㎞の大台に乗り不満は解消する。

スバルff-1:1000から1100ccへの進化型

そんな年、ダントツ人気の大晦日NHK紅白歌合戦に思わぬライバルが登場する。12チャンネルの“懐かしの歌声”いわゆる懐メロ。強烈リズム、ひねくったメロディについて行けない年輩視聴者を掴み、世間から忘れられた歌手達が甦りの機会を得た。

時代は富士ゼロックスのCM“モーレツからビューティフルへ”というように、戦後夢中で働き続けてきた猛烈時代も終盤になり、世の中落ち着きを取り戻し始めた反面、自動車市場では馬力競争に明け暮れていた。

独立独歩が信条と思われたスバルでさえ、気筒容積を拡大して1300Gへと発展し、最高速度は160㎞に、スポーティーモデルでは170㎞に到達した。

スバル1300G:ff-1から更に進化して一クラス上の居住空間を持つ特筆すべき乗用車となった

そんな70年のTV話題は、森光子と堺正章の“時間ですよ”に毎回登場の銭湯場面。ゴールデンタイムのお茶の間に、なんと女の裸が登場するのだから話題になるのも当然だった。

今でも続いている驚異的長寿番組“新婚さんいらっしゃ~ぃ”を桂三枝と梓みちよでスタートした71年、小型市場の一角に橋頭堡を築くことに成功した富士重工は、レオーネを発表する。
が、強烈な個性の持ち主1300Gの跡では普通の車でしかなく、マニアを落胆させるが、人気の1300Gを75年頃まで生産継続したのが、せめてもの救いとなった。

近頃、ローコストで視聴率を稼げる料理番組全盛だが、そのはしり吉村真理の“料理天国”のスタートが、1300Gが消えた75年のことだった。

いずれにしても、初代スバルFWDは、天上天下唯我独尊的乗用車を平然と連発するシトロエン的発想だったが、こんな車が育たないのが日本の市場のようで、悲しいことだと思う。