【車屋四六】316話 世界一のスポーツカー

コラム・特集 車屋四六

メルセデスベンツ300SLは素晴らしいGT、そしてゴージャス、当然オーナーになるには大枚が必要である。もっとも、支払いが可能であったとしても、所有するにふさわしくなければ笑いものになるというのが、欧米の習わしである。
が、日本ではその辺が曖昧で、すべてが何となく許されてしまう。また陰で笑われても苦にせず、流行を追い求める。女子大生がルイビトンを、OLが金のロレックスを、欧米なら笑いものだが、日本では顰蹙(ひんしゅく)を買うこともない。
300SLの初舞台は、54年のニューヨーク自動車ショー。ガルウイングが特徴の超高性能スポーツカーだった。後にロードスターも追加される。

300SLロードスター:タテ目前照灯は57~63年製造車。石原裕次郎のクーペは彼がタテ目に改造したもの

当時の日本は、マンボの流行で裾が広いマンボズボンを履いた若者が踊り狂い、中年はブームのパチンコに精を出していた。私が子供の頃からのパチンコは、穴に入って出玉は1個か2個だったが、真ん中の窓に見える10個ほどの玉が、そこに入ると一気に出てくるようになり射幸心をあおり、ギャンブル性がましてブーム到来となったようだ。学校帰りの渋谷でよくやったが、もっぱらチョコレートを溜め込むだけで、未だ景品買いなどは居なかったと記憶する。 300SLは、市販前の52年にプロトタイプが完成。エンジンは、M186型150馬力をベースに開発された200馬力のM188型だったが、制御燃料噴射のM198型215馬力の完成で、最高速度が267㎞、当時としては驚異的早さだった。

ドイツ語でSL=スーパーライト=超軽量。そのネーミング通り、300SLの車重は800kgという軽さで仕上がっていた。軽さを生み出したのは、常識的なフレームを持たず、軽量鋼管溶接で組み上げたパイプフレームに、ストレスが掛からない外皮が溶接された軽量アルミ板で作られていたからだ。この構造は、軽量ばかりでなく低いシルエットも生み出し、それに合わせて直六エンジンは45度傾けて、低いボンネット内に納めるという手法がとられた。

さて、困ったのはドア。この構造では常識的横開きドアが付けられない。そこで、上部に跳ね上げるガルウイングが考案されたのだ。決して奇を狙ったスタイリングじゃなかったのだ。
300SLの完成を待って、WWⅡ前からのMBチームの名監督ノイバウアーが復帰。編成したドライバーの顔ぶれはカラッチオーラ、ラング、クリング、戦前世界最強を誇った歴戦の強者どもだった。
新結成最初のレースは過酷な長距離レースのミレミリア。フェラーリに次いで二位、四位。それ以降、大惨事ルマン24時間の悲劇が起きる55年までの連戦連勝は、今でも語りぐさになっている。

メルセデスベンツ300SLは高価だと云うが、54年に売り出した時の価格は2万4000マルクだったが、57年に登場したロードスターは3万2500マルクと更に高価になる。
ちなみに市販車の諸元は、全長4570㎜、全幅1790㎜、ホイールベース2400㎜。補修を考慮してボディーがスチールになったせいで、車重が1350kgになったが、それでも最高速度は260㎞を誇っていた。

斜め後方からの300SLロードスター:改めて気がついたがアルファロメオ・デュエット同様にボートテイル型。当時流線型は空力的にベストと信じられていたのだろう