新規会員募集中



第309回・姑息な手段で黒を白にする

車屋四六のGood Days&Good Cars

 雑誌に掲載された広告は、読んで字の如しというやつだ。同和自動車は、倒産したデトロイト商会と共に、当時の大手自動車用品業者である。

 広告の車はプリンス・スカイライングロリア。59年登場の1500ccモデルで、147万円。時代は、日本初の乗用車量産工場が稼働してブルーバード310型が生産された頃である。それまでの日本製乗用車は、造ってもそれほど売れるわけでもなしということで、トラック工場で同居の手作り状態だった。

 写真でグロリアの胴体は、広告目的の“カスタム・ホワイトリング”で中断されているが、サイドの先端から後部まで伸びたモールは、派手なグリルと相まって、車に高級感を与えていた。

 もうこの商品を知っている人も滅多にいないだろうが、黒いタイヤの側面を白くする、当時“ホワイトサイドウオール”と呼ぶ白いタイヤに変身させる用品である。

 こいつは、日本人の持つ贅沢好み、云いかえれば見栄っ張り精神を満足させる小道具だった。スカラインとグロリア誕生の57年は、いけいけどんどんの戦後の復興が息切れした頃で、俗に鍋底景気と呼ばれた時代だったのだが、何故か流行語はデラックス。さらに59年の流行語は“消費は美徳”なのである。

 ということで、どうやら買えるようになった乗用車のオーナー達は、白いタイヤに憧れるが、買うとなれば黒より白い方が当然高価格、ということで登場した、姑息な手段の用品だったのだ。

 それまで、裕福な連中と大企業経営者、大臣高級官僚の乗用車といえば、高価なアメリカ製乗用車ばかり。その中でも高級車の足下はホワイトタイヤで飾られていたから、白いタイヤを日本人はステイタスシンボルとして憧れたのである。

 というマーケットの要望で生まれたのが、カスタムホワイトリング。土星の輪のような白いリングを買って、マイカーのホイールリムにはめ込めば「白タイヤ一丁あがり」ということ。

 広告にもあるように、わずか10分間で黒から白に早変わりというのだから、人気は上々、そこら中を走っていた。

 対応リムは10~20インチで判るように、当時のタイヤは径が大きかったことも伺える。もっとも20インチというのは、オートバイ用だろう。

 ただ難点もあった。駐車時に強く歩道に押しつけると外れたり、破けたりが玉に瑕。とにかく、ようやく手に入れたマイカーを、憧れのアメリカ車風に飾りたてる人気商品だが、よくよく考えれば姑息な手段で、車が買えるようになっても根っからの貧乏根性から抜けることができなかったのである。

 この広告掲載の60年=昭和35年頃の日本車市場は、前年登場のブルーバード310のように、オースチンからの学習で得た技術で生まれた日産のフラグシップカー初代セドリック、310との戦いに敗れたコロナP120が登場した頃である。

 さらに通産省の国民車構想を目標にしたが価格オーバーで残念だった三菱初の登録車の三菱500、オート三輪から脱して四輪市場進出を目指して開発されたマツダ初の軽自動車マツダR360クーペ、昭和33年に登場して軽自動車市場に君臨するスバル360から派生した登録車スバル450も登場している。

 戦後15年、日本の自動車造りが転機を迎えた年といって良かろう。60年代に入ると、日本製乗用車は欧米の車と比較できるような時代に入り、躍進時代に突入することになる。



(写真1)同和興業KK/東京港区芝愛宕町の広告:カスタムホワイトリングは白い円盤状リングをタイヤリムに挟み込んでホワイトサイドウオールタイヤ一丁上がりという商品だった。

(写真2)エアブラシで仕上げたプリンス自動車配布の報道用写真:最高級ブランドのグロリアらしく白タイヤを標準装備。メッキが多いアメリカスタイルのゴージャスセダンだった。

(写真3)高級車外国車販売で有名なヤナセの扱いで市場での信頼性価値観がグンと向上した。モデルは当時のスター女優久保奈保子。

  • 写真1
  • 写真2
  • 写真3
掲載日:2014/10/03

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話