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第303回・マツダのフルサイズ乗用車

車屋四六のGood Days&Good Cars

 93年に本稿をカー&レジャー紙に書いているとき「電動パチンコはハタチです」とTVが紹介。ということは、電動パチンコは昭和48年生まれと云うことになる。

 私が高校生の頃渋谷で夢中だった昭和30年代は、玉を左手で一個入れては、右手で弾いていた。一個入ると一個、時には二個、また特定の穴では更に多く、やがて15個も出るようになると「ハカがいく」と大喜びしたものである。

 が、電動になったら、如何にも博打じみて味気なくなり、それで止めてしまった。でも電動の発明でパチンコ隆盛時代が到来したとTVが云っていた。

 伝統パチンコと同じ年に登場したのがクオーツ時計。ブローバの音叉時計の特許を買えなかったセイコーが開発したのがクオーツ式腕時計だった。ついでに“ごきぶりホイホイ”もハタチと知った。いまから20年前、1993年の話である。

 ちなみにセイコー・デジタル腕時計の値段は14万円。大卒初任給5万円の頃だから、とてもじゃないが高嶺の花だった。

 現世代から勘定すれば、約40年前、マツダは世界に先駆けてロータリーエンジン(RE)の量産化に成功、ロータリゼーションを旗印に執念の戦いに挑んでいた。しかも世界初ツーローター型の高出力REを完成してコスモスポーツを開発、市販に漕ぎ着けたのが67年だった。

 それからのマツダのRE展開作戦は目を見張るほどで、それをマツダは“ロータリゼーション”と呼んでキャンペーンを繰り広げていたのである。

 作戦の始まりは大衆車ファミリアから。そしてファミリアプレスト、ルーチェロータリー、コスモ、グランドファミリアと、それこそ矢継ぎ早の展開であった。

 やがて軽自動車のRE搭載車を開発したというニュースが入ってきた。実際にそれは完成していて“シャンテ”と名前まで付いていたのだが、市販されずにマボロシの軽になってしまった。

 高出力高性能を危惧したが、対抗手段がないメーカーと役所の圧力に負けたのだという噂が流れてきた。

 RE軽は諦めたマツダだが、その頃欧米でも通用する大型セダン開発が進行していた。そして75年登場したのがロードぺーサー。

 日本離れした姿も道理。生まれはオーストラリア、GMが開発発売するオーストラリア製ホールデンのシャシーとボディーを買い付けて、REを組み込んだのである。未知の大型車開発ということばかりでなく、新車開発費の莫大な費用、生産設備の設備投資を節約という一石二鳥の妙案だった。

 搭載エンジンはルーチェ・ハードトップ用からの進化型13B。654ccx2ローター、圧縮比9.0、4バレルキャブレター、135ps/6000rpm、19.0kg-m/4000rpm。

 全長4850㎜、全幅1885㎜、全高1465㎜、ホイールベース2830㎜。車重1575kg。最小回転半径5.7米。最低地上高160㎜。定員5名。定置燃費9.0km/L。3AT。ブレーキ:前ディスク/後ドラム。タイヤ:7.50-14-4p。価格386.5万円。前席はベンチシートとセパレートをチョイスすることが出来た。自慢は、大柄だが最高速度165粁という俊足だった。

 ロードペーサー誕生の75年は昭和50年、登場したニューモデルはスバルレオーネ四駆セダン、ランサーセレステ、ロードペーサー、セドリック330、グロリア330、シルビアS10、コスモAP。

 余談だが、日産シルビアは飛び抜けてスタイリッシュな車だったが、本来は日産開発のRE搭載予定だった。が、前年勃発の世界的石油危機でエコムードが高まり、燃料消費が多いRE搭載を断念、レシプロエンジン搭載で登場したものである。



(写真1)マツダのフラグシップカーとなったロードペーサーRE:当時の日本ではクラウンやセドリックが大型だったが、オーストラリア生まれのロードペーサーは本物フルサイズカーだった。

(写真2)後ろ姿も貫禄でバタ臭いロードペーサー。

(写真3)数字横並びの速度計、各メータレイアウト、ステアリングハンドル、何処を見てもアメリカンスタイルそのもの。

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  • 写真3
掲載日:2014/08/09

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話