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第302回・グロリア・プリンスから日産へ

車屋四六のGood Days&Good Cars

 いまや日本の銘ブランドであるスカイラインの初代は、昭和33年に、プリンス自動車が中型車市場に送り込んだ、当時の日本製では大型に属する乗用車だった。

 二種類のグレードのうち、豪華バージョンがグロリア、あっさりエクステリアがスカイラインだったが、二代目へのフルモデルチェンジでダウンサイジングして、スカイラインは独立する。

 グロリアは昭和37年に豪華な高級セダンに、スカイラインは昭和38年小型パーソナルセダンに発展する。ちなみにグロリアはヤナセでも販売したから、知名度と信頼度向上に結びついた。

 余談になるが、第二回日本GP必勝のため、スカイラインの四気筒用エンジンルームに、六気筒を押し込んでのGT誕生の秘話は有名だが、その六気筒は新グロリアからの物だった。

 その直列六気筒G7型2Lは、日本初のOHC、日本最強のエンジンだった。評判を得たグロリアは、順調発展、三代目の開発に着手したが、その最終段階でプリンス乗用車と日産との合併が決定。

 で、三代目は日産グロリアで登場する。それまでのライバルのセドリックとは義兄弟に。が、兄弟の姿が違うのはそこまでで、次のモデルチェンジでは共通ボディーの双子車誕生となる。

 さて三代目の姿は、いま見ても見劣りせず貫禄もあり、そのスタイリングを称して“ロイヤルルック”と呼んだ。

 その縦目四灯のヘッドライトは、昭和41年にプリンス乗用車が天皇家のために開発納入したプリンスロイヤルをイメージして、開発したとのことだった。

 だからボンネット先端に光るオーナメントの文字Nは、本当はPだったはずなのである。

 で、三代目グロリアは、合併前プリンス自動車の独自開発で、最後の開発車。が、合併のメリットである生産合理化の名のもとに、ボディーは共通、高性能を誇るG型六気筒は、日産製L20型六気筒に変更された。

 当時斬新だったコラムシフトはそのままだったが、前進四速型変速機も日産製になる。

 長く延びきった三代目のスタイリングは、如何にも豪華だったが、インテリアもそれに劣るものではなかった。本格的センターアームレスト、そしてプリンスならではのアイディアは、前後席共に安全枕をシートに内蔵、必要あれば引き出して使うようになっていた。当時、安全枕の習慣は未だ無く「邪魔でしょうがない」と云う人が多かったから好評だった。

 前輪懸架のWウイッシュボーンは二代目から継承したが、特色の後輪ドディオンアクスルは、リーフスプリングに改まった。

 シャシー6万粁無給油というように、プリンス自動車が推し進めてきたメンテナンスフリーでは、この時代日本ではグロリアが最先端を走っていたと思う。

 やがて、ATも日産製に、パワーステアリングやパワーウインドーを装備して贅沢に進化しながら、合併のメリットを着々と取り込んでいった。

 こうしてプリンスの血を引く、高性能高品質は三代目グロリアを最後に、コストパフォーマンスの優先の日本製高級車として成長を続けるのである。

 三代目登場の昭和42年(1967)に登場した日本車を調べてみた。登場順に、ホンダN360、日産グロリア、スズキフロンテ360、トヨタ2000GT、マツダコスモスポーツ、ダットサンブルーバード510、トヨペットクラウンMS50、トヨタセンチュリー、ファミリア、いすゞフローリアン。

 当時の日本は、未だ自動車ジャーナリストも少なく、センチュリーの試乗会は参加20名ほどと記憶するが、今では大物になった岡崎宏司も未だ新人で名刺を貰い、何故か作家の大藪春彦が居て名刺を交換した記憶がある。探せば見つかるだろう。



(写真1)プリンス三代目は日産グロリアに:天皇家プリンスロイヤルに似た縦目四灯から後方に延びる直線構成の姿はモダンで鍍金と相まって豪華だった。

(写真2)プリンスグロリアの二代目:グロリアは初代からメッキの豪華さで目立っていた。ヤナセの販売で信頼不足だった日本製グロリアが見直されるきっかけとなる。

(写真3)初代グロリア:スカイラインと同寸法の兄弟車だったが、メッキで飾り差別化に成功する。

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  • 写真2
  • 写真3
掲載日:2014/08/07

この記事のカテゴリ:連載・クルマ昔話